• 問屋ファームでは、信州安曇野で育った果物(梨やスモモ)の販売をしています。

剪定は「創造的な作業」

 このところInsutagramでは、野鳥の写真の投稿が続いた。しかし、決して農業をサボっていたわけではない。

 スモモ(月光)の写真を掲載したが、梨だけでなくスモモも寒中は剪定で忙しい。

 スモモや梨の剪定の手法について研究者の主張によって多少の違いはあるが、基本は枝を平面的に展開して、葉にまんべんなく太陽光をあてる事で光合成を促そうという事になる(作業効率や農薬の効果にも影響を与える)。

 写真のように剪定前には、垂直方向に伸びた徒長枝によって棚の上は針の山のようになっているが、剪定後には少なくなる。「少なくなる」としているが、次の段階では枝を紐で結んで棚に誘引する作業があるために、あえて(誘引目的の)枝を残している場合があるのです。

 寒中に行う剪定作業について、非農家の方からは「寒い時期に大変ですね」などと言われる。(秋剪定もあるが)果樹農家にとっては剪定作業は「創造的な楽しい作業」と言えるのです。

 枝をコントロールして、シーズン開始から収穫を終えるまでの様子を思いながら、自分なりに園の果樹の「樹形」をデザインする仕事だからです。時として時間をかけて太くなった枝を切る場合があります。事情はいろいろあります。老朽化や傷、病気などで花芽をあまり付けなくなり、若い枝に更新する場合。また、想像していた(枝の)配置から逸脱して枝と枝が重なってしまったり、本来の成長方向とは逆向きに伸長して、作業効率低下を招いたり、促すべき光合成に悪影響を与えそうな場合です。

 しかし、人間がコントロールしようとした時に、思わしくない状況に対して「強制的に」樹形制御をする行為でもあり、心境は複雑です。

 「花枝自ずから短長」という言葉があります。

 自然界では、花も枝も短い物や長い物、方向も様々なものがあってこそ、太陽の光を互いに分け合い、調和がとれているという意味です。人の集団においても「色々な人がいてこそ」との教えがそこにはあります。

 そうした意味では剪定をする私は傲慢と言えるかもしれません。

 「大胆に太い枝を切ると収量が落ちる」として、極端な剪定は私の先輩である義母は嫌ってきました。しかし、花芽が蕾になった時、時として摘雷(不要な蕾を撤去する)してなお、残して開花させた花のうち、めでたく受粉して着果(小さな実になる)した実でさえ、さらに摘果(小さな実を間引く)して、結果として収穫に到達できる果実の割合を考えると、園内にあるいくつかの太い枝を切り落とす影響がどれほどのものかと疑問に思う。

 最初のうちは剪定の解説書を読んでもよくわかりませんでした。「こうなるはず」の結果が分かるのは1年以上後で、どこをどうしたのかさえ分からなくなる事がほとんど。細い枝の3分の1切り詰めた場合と4分の1まで切り詰めた場合。ある程度の太さの枝の場合や、主枝から直接伸びた枝を主枝から15Cmほどで切った場合など、こまめにラベリングして評価しようとしても収穫時期になると剪定した時の状況を詳細に思い出すことができません。ある程度繰り返し評価する必要があります。

 写真が分かりづらいかもしれませんが、枝の太い部分まで切り詰めると、その脇から太い枝が勢いよく伸びています。細い枝を強く切り詰めた場合も同様で、弱い切り詰めではその脇から細い枝が伸長しています。

 そうした経験を、次のシーズンの自分自身にうまく伝えるには工夫が必要です。そのような「悩み」も楽しさのひとつかもしれません。